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新潟県内とその周辺の鉄道を紹介するサイトです。撮影地や臨時列車などの情報もあります。

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上越新幹線
200系 E1系 E4系
東北新幹線の開業から5ヶ月遅れて、「ひかりは北へ」のキャッチコピーをもとに、1982年11月に新潟〜大宮間が開通。その後、東北新幹線が段階的に大宮〜上野、上野〜東京を開通させ、運転区間を延長させた。また、1997年に北陸新幹線が高崎〜長野間が開通したことに伴って、東京〜高崎間ではE2系も運転している。そのほかは、開業当時から運転している200系、そしてJR化されてから導入された2階建て新幹線電車E1系とE4系が運行している。各列車の名称は新潟県佐渡地方に生息する朱鷺をもとに、「とき」や「Maxとき」、また東京〜越後湯沢間の一部列車は「たにがわ」「Maxたにがわ」と制定されている。

上越線
183系 485系 681系 115系 115系 キハ110系 EF64形 EF64形 EH200形
首都圏と新潟を結ぶルートは信越本線・磐越西線の両線によってすでに整備されていたが、いずれも遠回りをする形であったため、タイムロスが生じていた。そのため、1884年から段階的に開通し、1931年の清水峠の難工事が終了したのに伴い、比較的短いルートを通る上越線が全通した。それ以来は、東北地方の日本海側と北陸地方を首都圏と結ぶ重要な大幹線として使用され、かつては名特急「とき」、急行「佐渡」なども運行されていた。しかし、1982年の上越新幹線の開通に伴い、昼間の優等列車は消滅し、現在では山間地域の足と言ってもいい。

信越本線
183系 189系 485系 485系 485系 583系 681系 115系 115系 115系 E127系 キハ40系 キハ40系 キハ110系 キハE120形 EF64形 EF64形 EF81形 EF81形 EF81形 EF81形 C57形
1898年(明治31年)に全通し、群馬県の高崎駅と新潟駅を結ぶ路線。かつては、首都圏と新潟を結ぶ大幹線であったが、1997年の長野(北陸)新幹線の開業によって、一部の区間がしなの鉄道へと渡った。また、1997年までは、全国的に有名な横川〜軽井沢間の碓氷峠を通過していたが、これも新幹線の開業によって廃止され、現在は碓氷鉄道文化村の一部として整備されている。新潟県内の信越本線に関しては、485系使用の特急「北越」や、快速「くびき野」、また北越急行にも乗り入れするJR西日本所有の特急「はくたか」が通っており、新潟と北陸地方を結ぶ大幹線として整備されている。また、新潟駅、長岡駅で上越新幹線と接続しており、接続路線の意味もある。

白新線
485系 485系 485系 115系 115系 E127系 キハ110系 キハE120形 EF81形 EF510形
新潟県内では比較的新しい路線で、戦後の1952年に開通した。4年後の沼垂〜葛塚(現・豊栄)間の開業で全通している。なお、珍しい名前の由来は、当初新潟市の中心部側
であった白山駅と新発田駅を結ぶためであった。全線が電化(直流)されており、米坂線へ乗り入れする列車以外はすべて電車を使用している。白新線は、通勤路線として新潟〜豊栄間は昼間ほとんどの列車が20分間隔のダイヤで運転されており、また新潟駅から東北地方の日本海側(山形・秋田方面)への重要な接続路線として羽越本線と手を組んで乗客を輸送している。週末(稀に金曜日も)は、ジョイフルトレインである「きらきらうえつ」が運行し、賑わいを見せている。

羽越本線
485系 485系 485系 115系 115系 E127系 キハ40系 キハ40系 キハ110系 キハE120形 EF81形 EF81形 EF81形 EF81形 EF510形
新津駅と秋田駅を結ぶ、東北地方の日本海側の大幹線。日本海縦貫線の一部で、「いなほ」「あけぼの」「日本海」「トワイライトエクスプレス」なとの名列車が走っている。1912年から段階的に開通が始まり、1924年に笹川流れの難工事が終わり、全通した。1972年に、新津〜村上間は直流、村上〜秋田間は交流で電化し、全国でも数少ないデットセクション(交直流の替わる場所)が村上〜間島間に存在する。羽越本線では現在までに数多くの大事故が発生しており、死者5名、負傷者33名も出した「特急いなほ14号脱線事故」は
記憶に新しい。景勝地「笹川流れ」を通ることもあり、ジョイフルトレイン「きらきらうえつ」が人気であふれている。

北陸本線
485系 485系 485系 583系 681系 419系 455系 EF81形 EF81形 EF81形 EF510形
1882年から営業している、歴史ある路線である。1913年に全通し、それ以後は何度もルート変更がされてきた。最も有名なのが、1962年の北陸トンネルの開通。総延長13.8kmを誇る大規模な工事であった。なお、北陸本線では数多くの優等列車が運行しており、新潟県内に乗り入れする列車でも、「はくたか」「北越」「トワイライトエクスプレス」「日本海」「北陸」「きたぐに」などがある。貨物輸送も盛んで、高速貨物列車が数多く往来する。しかし、2014年の北陸新幹線の開通に伴い、金沢〜直江津間はいわゆる並行在来線となってしまうため、JRの経営から分離されることが懸念されている。

越後線
115系 115系 115系 E127系
新潟駅と柏崎駅を結んでいる新潟県内の重要な「通勤・通学」用路線。特に新潟近郊から新潟市内への需要が多いため、近年では内野〜新潟間を往復する形の列車が増えている。115系やE127系の近郊型電車が使用されている。また、吉田駅で弥彦線との乗り換えを可能としている。かつてはC56型蒸気機関車牽引の貨物列車や、キハ30・キハ45などを使用した気動車の混合列車も見られたが、今ではあまり注目されていない。ごく稀に、白新線とセットで日本海縦貫線(信越本線柏崎〜羽越本線新発田の部分)の迂回路として使用されることがある。

弥彦線
115系 
1916年に「越後鉄道」として西吉田〜弥彦間が開通して以来、段階的に延伸開業を進め、1927年7月に弥彦線となった。当初は会津まで延長するという大規模な構想が存在したが、国有化によって事業申請が却下された。1982年の上越新幹線開業で、新たに燕三条駅が開業し、上越新幹線と弥彦線の重要な接続駅としての役割を果たしている。しかし、民営化前の1985年に、経営困難により、東三条〜越後長沢間のいわゆる「弥彦東線」が廃線となった。1997年に一部の区間が高架化され、通勤路線と観光路線の2つの役目を兼ね備えている。

磐越西線
キハ40系 キハ40系 キハ110系 キハE120形 C57形
1900年前後から建設が始まり、もとは岩越鉄道(国有化で岩越線となった)と名乗っていた。1914年の津川〜野沢間の開通で全通し、3年後に現在の名にいたっている。磐越西線は大きく分けて2区間となり、1つは郡山〜会津若松、もう1区間は新津〜会津若松である。会津若松は頭端式の駅であり、只見線と会津鉄道と接続している。1999年に復活した新津運輸区所属のC57-180による「SLばんえつ物語」号が毎週土日、新潟〜会津若松で運行している。また、郡山まで延長運転する日もある。愛称の「森と水とロマンの鉄道」にふさわしい、山と川の景色を誇る、自然の中を走る路線であり、鉄道ファンには高い人気がある。

只見線
キハ40系 
只見線は、非常に建設期間の長い線路であり、1926年10月の会津若松〜会津坂下開業から、1971年の全通まで45年もの期間を要した。田子倉ダムの建設などが原因である。急行「いなわしろ」や、ユニークな冬季運休急行「奥只見」などの優等列車が運転されていたが、現在ではすべての列車が普通列車に統一されている。民営化前に、一時廃線の動きが見られたが、冬季の代行運転が不可能なため、存続が決定した。全線単線で、西若松〜只見間では今では貴重なタブレットの受け渡しが見られる。「紅葉の美しい鉄道路線」1位や、「冬景色のきれいなローカル線」3位に選ばれるなど、非常に景観に優れた路線であり、鉄道ファンには魅力的である。また、近年では真岡鐵道のC11形機関車を利用した臨時SL列車も運転されていて、今後の動向が注目されている。

米坂線
キハ110系 キハE120形
1936年の全通までは、東西別々に営業しており、西側の坂町〜越後金丸間は米坂西線、東側の米沢〜小国間は米坂東線と名乗っていた。全通により、線名を改称、現在の名にいたっている。豪雪に見舞われることが多く、これまでも雪崩などを原因とする事故が多発している路線である。そのため、冬季は除雪列車などが頻繁に運転されている。近年までは除雪機関車のDD14やDE15が使用されていて、鉄道ファンの間でも人気があったが、2008年冬からENR1000除雪モーターカーが起用されいてる。また、2009年3月のダイヤ改正で、それまで運転されていたキハ52・キハ58などの老朽化に伴い、すべての車両がキハ110・キハE120に置き換えられ、列車もすべてワンマン化された。

大糸線
キハ120形
信濃鉄道、大糸南線、大糸北線の3線が統合し、1957年に全通、線名を現在の名に改称している。JRへの民営化の際、大糸線は南北に分断され、松本〜南小谷間はJR東日本、糸魚川〜南小谷間はJR西日本がそれぞれ継承した。大糸線では1995年まで2社をまたがるように、直通列車が運行していたが、同年7月の水害によって不通になって以来、直通列車は運行していない。また、JR西日本側では、国鉄色リバイバルカラーをまとったキハ52を運行させていたが、2010年3月のダイヤ改正で定期運行を終了し、それ以降同年8月まで臨時列車としての運転を続けている。

信越貨物支線
DE10形 DE10形 DE10形
新潟(タ)を上沼垂(信)を経て沼垂や東新潟港と結んでいるJR貨物所有の新潟市内の貨物線。かつては万代貨物駅や東新潟港付近の専用線によって栄えていたが、今では焼島駅付近の北越製紙の工場が存在するのみ。また、上沼垂(信)〜沼垂、および焼島〜東新潟港の区間は現在は使用されておらず、事実上の廃線状態にある。焼島方面へのびる貨物線は新潟空港へ接続するための新交通システムに転用される路線(LRTなど)として注目されている。また、焼島駅北側およそ70mの場所に、2008年、新たなコンテナ専用線が誕生し、賑わいを見せている。北越製紙による信越貨物支線の新たな可能性が期待される。

1なお、各車両をモチーフにしたアイコンは、列車アイコン集を管理されているcuroka様より提供していただいております。また、列車アイコンは一部の代表的な車種を取り上げていて、JR各社が所有する車種以外の車種(北越急行の車両など)、および同じ路線であっても新潟県外のみを走行する車種は掲載しておりません。

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